私の目下の課題は、
・自分を大切にする
・自分を愛する
ではないかと思う。これって、お金の事やパートナーシップ等、あらゆる事の根本的な事ってくらい重要な意識だと思うんだけど、なかなか私にとっては難しかった。
例えば私の場合は、セッション等で重ね重ね言われて、かれこれ1年以上経つ事がある。それは、
「楽しいって思う事をする」
「なんか好き/嫌いの感覚を大切に従う」
という事。
得意な人にしてみたら、こんな事って思うくらい簡単な事なんだけど、私の今までの選択基準が、
「これって私にとって役に立つ?(学び、勉強になる)」
って事。言ってみれば何かを買うときや行動する時、時にそれにお金が伴う時は、常に自分に問うてるわけです。
これって、私にメリットある?私が成長できる?って。
人の思考や大切にしている物って、お金の使い方、使い道を見て見ると分かりやすいって聞いた事があります。
私の支出を見て見ると美容関係が多いんですけど、私は美容関係が好きっていうのもあるんですけど、美容ってある意味女性にしてみたら投資だと思っています。
あとは、本とか講座とかもしっかり選びますが、使ってOKな事。
なんかストイック...
そして、ここ何年か知り合いや、少し会話をするだけの関係性の人から言われる、私の印象は、《ストイックそう》です…
私は、自分でそんな意識もないしだらしないとこも知っているので、そんな風に思わなかったけど、結局はそんな雰囲気が出てしまっているよ、いう事。
ちょっと話を戻します。結局私は、
自分の喜びの為だけに行動する・お金を使う
という事すら、全く出来ていなかった!
例えば、こんな感じ。自分を大切にするってわかりにくいけど、こう考えるとわかりやすいと思いますが、自分自身を自分の子供だとして扱うと考えます。そうすると、
子「このお菓子が食べたいから買ってー」と100円のお菓子を差し出す。
母「このお菓子はあなたの身体に何のメリットがあるの?どういう栄養になる?」
子「そんなのわかんないけど食べたいよ」
母「役に立たない物いくら100円であっても価値がないからいりません」
子「…」
こんな、会話を頭の中でずっとしている感じです。こんな事をずっと繰り返していたら、この子供はどう思うでしょうか?
「こんな小さい願いも叶えてくれないんだ。」
「私には、このちょっとしたお菓子をたべる事も許されないんだ。そしたらもっと高いお菓子なんてきっと買ってくれないな」
「こんなに厳しい事を言うなんてきっとお母さんは私の事なんて好きじゃないんだ」
こんな風に思いませんか?
そして、そのうちこの子供は願望を言う事すらしなくなります。
こんな事が私の中で、ずーーと繰り広げられていたのです。これって、いわゆるインナーチャイルドです。
それでいて、私のやりたい事は何?って大きな事を聞いても、小さい事すら叶えてこなかったのに、大きな願望なんて出してくれるわけがありません。だって、
願ったってどうせ叶えてくれないじゃん。
さらに、それだけではなく今までの私の役に立つ事にはお金や時間は使っていいという感覚は、逆を返せば、メリットある事や仕事に役立ちそうな事なら使っていいけど、それ以外は無駄。つまり、
私の気持ちをただ満たしたいという思いだけではお金を使う価値なし。
って事。言い方を変えれば、
ただの私。仕事をしていない稼いでいない私、役に立たない私、成長しない私には価値なし!
って、ずーーと言い続けていたわけです…なんてこった!
よく本等で、自分を愛する為に、アファメーションを言いましょうとかあるけど、なんかしっくりこないって思ってたけど、このような私の潜在意識では違和感があって当然。
①やりたい事、好きな事は分からない←いじけたインナーチャイルドが願望をだせない
状態にしてる。(どおせ願ったて叶えてくれない)
②自分を満たすという事だけにお金が使えない。ただ楽しむ事ができない。←そのままの自分には価値がない。満たす価値なし。楽しむ価値なし。
こんな感じでしょうか?この意識が今までの私の潜在意識(一部ではありますが)だったので、ずっと私はこれらの想いが現象化した人生を生きてきたわけです。
自分が出したものがかえってくる訳なので、お金もパートナーも人間関係も自分の思い込みで出来ています。だから、
自分を大切にするってことが、あらゆる悩みの一番の根底にある事かもしれません。
私は自分で自分に価値がない、好きな物もわからない、そんな感じだから、周りの人も私をそのように扱う訳です。
そして自分のこの意識に気が付く事が出来ないと変わる事はできません。アファメーションを唱えただけではなかなか難しいと思っています。
いま気が付く事が出来てよかった!
私は内省をしっかり意識しはじめたのは、2年前くらい前になるけど、これがなかなか、出てこなかった。
今、この文章は思いつくまま書いているんだけど(だから、話があっちこっちでわかりにくい)この意識がでてくるなんてちょっと驚き。
最近私は、あまり自分で考えすぎない様にしていて、なんとなくの感じとか、あとは気なる事に意識をむける。あとは誰か教えてっていう感じ。で投げる。
そんな風に、私の思考じゃなくて別のなにか、私の宇宙とか、守護してくれている何か。まだ私にはわかりませんが、そのような存在にゆだねると早いのかもしれません。
自分自身を、自らの子供のようか感覚で願望を叶えてあげる。話しを聞いてあげる。欲しいもの買ってあげる。見たい景色を見せてあげる。甘やかしてあげる。
そんな風に扱ってあげる事が、自分を大切にするという事。
そのことが、自分の望む人生を生きる事に必要不可欠であり、近道なのかもしれません。